脚気から日本を救ったビタミン発見の父
高木兼寛(たかぎ かねひろ)
1849~1920
宮崎県に生まれる。武士の子として育ち医学の道を志す。英国で医学を学び、帰国後東京海軍病院長を任じられる。当時細菌が原因で発生すると考えられていた脚気の研究を行い、食事由来のある栄養素の欠落により脚気が生じると提唱。この研究により後に「ビタミン」が発見された。海軍では食事にビタミンが含まれる麦飯を主飯とすることで脚気患者を大幅に減らすこととなった。
当社はボイラ水用の化学的処理を目的とした特許三ツ目印清缶剤を
開発し、1918年(大正7年)に設立致しました。
以来、産業の発展に伴い水処理のニーズは著しく変化して参りました
が、当社独自の研究開発を行い、新技術を提供・提案し、今日では総
合水処理メーカーとして多くの実績を上げるに至っております。
高木兼寛(たかぎ かねひろ)
1849~1920
宮崎県に生まれる。武士の子として育ち医学の道を志す。英国で医学を学び、帰国後東京海軍病院長を任じられる。当時細菌が原因で発生すると考えられていた脚気の研究を行い、食事由来のある栄養素の欠落により脚気が生じると提唱。この研究により後に「ビタミン」が発見された。海軍では食事にビタミンが含まれる麦飯を主飯とすることで脚気患者を大幅に減らすこととなった。
大谷嘉兵衛(おおたに かへえ)
1845~1933
三重県松坂市に生まれる。19歳の時に横浜にある茶商伊勢屋に奉公し製茶貿易に就く。明治になり品質の悪い製茶を無くすために製茶改良会社を設立。39歳の時に農商務省と協力し全国に茶業組合を設置、製茶の品質向上に努めた。多くの会社の設立参与としても関わった。
武藤喜一郎(むとう きいちろう)
1868~1943
静岡県に生まれる。東京帝国大学を卒業後、陸軍の獣医となる。1918年(大正7年)〜1926年(昭和2年)には陸軍獣医学校の校長を務め、1925年に陸軍獣医総監。主に馬学の獣医学的研究に貢献し、軍馬の保全対策に尽力した。
笠井愛次郎(かさい あいじろう)
1857~1935
現在の岐阜県瑞浪市に生まれる。工部大学校土木科を卒業後、海軍省や九州鉄道、日本土木会社を経て1897年に私立鉄道学校(現在の岩倉高等学校)を設立。鉄道協会の創設にも関わり、鉄道・電力分野の近代化に貢献した。
秋山 高(あきやま たかし)
1876~1968
静岡県三島市で生まれる。昭和初期に内外化学製品の経営に参加。清缶剤のみだった事業の多角化を進め、現在の本社所在地への移転や戦中・戦後の再建に大きく寄与した。
当社に残る最も古い写真

品川区高輪に社屋があったころの写真


大正8年ごろに官報に掲載されていた当社の広告

三つ目マークの登録記録

昭和14年の三つ目マーク

昭和30年に更新した三つ目マーク

実用新案登録証

マーチの缶

昭和11年に建てた旧工場(撮影時期は平成時代)




当時は大阪市西区本田町にあった。

清缶剤の広告

旧社屋建設中の写真


焼酎精製装置カタログ


本社新社屋完成


